真鍋凪咲の前世は?アイドルに憧れたきっかけは?ずっと抱えている苦悩も

CUTIE STREET(キューティーストリート、通称:きゅーすと)紫担当の真鍋凪咲は、メンバーで唯一CUTIE STREET以前の芸能活動がなく前世がないんです。

そんな真鍋凪咲だからこその苦悩や努力があり、それが今の彼女につながっています。

この記事では、真鍋凪咲がオーディションを受け、研修生になり、デビューするまでのストーリーを彼女自身の当時の心情などを交えて紹介していきます。

もし、真鍋凪咲のアイドルデビューまでの道のりではなく、大学や高校、学生時代のエピソードなどの経歴が知りたい方はこちらの記事を読んでください。

目次

真鍋凪咲がKAWAII LAB. MATESになるまで

真鍋凪咲は2023年、大学1年生の時にKAWAII LAB.のオーディションに参加するまで一度も芸能活動をしたことがない一般人でした。

そんな彼女がアイドルになりたいと思うようになったのは、女子大生によるアイドルコピーダンスサークルの大会・UNIDOLにゲスト出演していたアイドルの生のパフォーマンスを見たのがきっかけだったそうです。

このタイミングに出会ったのがアソビシステムが運営するアイドルプロジェクト「KAWAII LAB.」のオーディションで、驚くべきことに、これが彼女の人生初めてのオーディションで、両親には内緒で受けていました。

ただ、1次審査が合格すると両親に打ち明け、最初は親も合格すると思っていなかったのか、「できるところまでやってみなさい」と言われてそうですが、結局反対された時もあったそうです。

しかし、オーディションに合格すると、どうしてもアイドルになりたくて親を説得し、アイドルしての第一歩を踏み出しました。

KAWAII LAB. MATESのメンバーは元々他の事務所などでアイドル経験がある人ばかりなので、何の経験もなく初めてのオーディションだった彼女が合格すること自体、かなりすごいことだと思います。

真鍋凪咲のKAWAII LAB. MATES時代

真鍋凪咲は2023年11月からKAWAII LAB. MATES(研修生のようなもの)加入し、アイドルしての第一歩を踏み出しました。

他のKAWAII LAB. MATESのメンバーと異なり芸能経験がなかった真鍋凪咲は、アイドル力もないし、SNSのフォロワーも0人スタートで、みんなに追いつくために必死だったといいます。

元々ダンスを長くやっていたものの、HIPHOPなどがメインだったので、アイドルのように可愛く踊るのにはかなり苦労したと思います。

実際、レッスンの先生からは踊り方や声が可愛くないとたくさん指導を受け、みんなに追いつくために必死に毎日研究・練習してきたそうです。

こうした努力もあって、KAWAII LAB. MATES時代から「なべちゃん」の愛称で呼ばれ、その親しみやすさや歌とダンスの上手さからどんどんファンを獲得していきました。

芸能未経験で、KAWAII LAB. MATES時代もたった約8ヶ月間、こんな短時間でこんなに完成度の高いアイドルに成長できたことがすごすぎますよね!

真鍋凪咲がCUTIE STREETとしてデビュー

そして、2024年8月4日、CUTIE STREETの紫担当としてアイドルデビューを果たしました。

紫はKAWAII LAB.のアイドルグループの歌姫が背負うメンバーカラーでもあるので、アイドル未経験ながら運営からもパフォーマンス力(特に歌唱力)が評価され、期待された証拠だと思います。

しかし、本人はデビューしてからも、周りのメンバーと自分は離れた存在で、全く追いつけていないと感じていたと言っています。

そして、「自分はビジュアルでは勝てない。だったら、実力で人気を集めよう」という考えを持ち、地道な努力を重ねてきて今の彼女があります。

正直ビジュアルも良いですが、周りが芸能経験がありファンもついているメンバーが多かったので、自分にあまり自信を持てなかったのかなと思います。

ただ、今のCUTIE STREETにとって真鍋凪咲が不可欠な存在であることは間違ありません!

そんな真鍋凪咲のオーディションから現在までの心情などはこちらの投稿で本人が詳しく書いてくれているので、ぜひ見ていってください。

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